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マス(以下省略)

Author:マス(以下省略)
仕事とプライベートの両立を目指すも、
なかなか上手くいかず、多少の問題を抱える。
そんな29歳。

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12/16(Fri)

世界にヒトリ

二人でいるときに感じる孤独と、
世界にただヒトリ残された孤独は、
一体どっちが悲しいのだろう?

僕らはきっと孤独な顔を決め込みながら、
最終的には、孤独になりきれないから。
徹底した孤独に追いやられる事態なんて、
基本的にあまり起こり得ない。

だから、ヒトリを想像すると、
涙が止まらなくなるんだね、きっと。
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Comment


 (管理者にだけ表示を許可)
 

「場所」的存在

 なるほど。確かに「孤独」という感覚は誰かがいるから感じることができるものなのだね。

 親しい人が居る場合、その人を喪失した時に感じる「孤独」は最初からひとりでいる場合より、きっと強く「孤独」を感じることだろう。

 もっとも社会の中に生まれつく我々は最初からひとりでいるという事態に陥ることができないのだけれど。

 社会の中で生活するから、誰かのことを羨ましがったりして、自分が他人より「孤独」であることを認識して、悲しむ。

 結局、誰かと比較しながら、私たちはあれこれ感情を抱いているのかもしれない。

 「私」が今、社会の中でどの位置に居るのか、
その位置は「幸福」なのか?計る物差しは外部のどこにも存在しない。

 なぜなら、私たちは社会に参加していて、それを鳥瞰図的に眺めることは原理的に不可能だからだ。

 では、内部にはその物差しは存在するのか?
よく、「人生は心の持ちようだね」という。

 その「心の持ちよう」が内部の物差しには影響を及ぼす。内部の物差しはとても自己都合的な計りだ。どのようにでも計れる。だからあまり当てにならない。けれど、だからこそ、有意義でもあるのだけれど。


 「私」の「位置」は常に揺れ動く。「私」は「場所」的な存在なのだ。その「揺らぎ」を楽しんでいこう。

 さて、明日は何処に「私」はいるのだろうか?
  

 
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